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セミナーB
「これが映画を変える…海外映画メイキング事情」

柏 弘一(ポストプロデューサー)
古賀信明(ビジュアルエフェクト スーパーバイザー)
渡辺 眞(撮影監督)
コーディネーター:掛須秀一(ポストプロデューサー、ジェイ・フィルム代表取締役)

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■SeminarB

渡辺 眞氏(左)、掛須秀一氏(右)

●掛須:それではバトルトークという形になりますが、このメンバーを集めた一つの理由というのは、古賀さんは何故自分がここに呼ばれてるんだろうと言ってらっしゃるけど、実は古賀さん独学でいろんなものを手探りで作ってこられたときに、海外のことを一番調べたわけですよね。国内で、どの位 海外の事情って手に入れられるのか、どうやってノウハウで手に入れて、今の仕事に役立てているかといったことのノウハウを持ってらっしゃると思うんで、夢を持って何か目指したいと思う人が、自分の環境にはそういうのはないんだということで、諦めたりくじけたりするということを、それは言い訳ではないのかということも含めて自己反省的に我々も考えてみたいと思いつつ、また今後の日本映画はどうやったらいいのかという、どうなっていいのかなという理想論みたいなこと、そういう話し合いにしてみたいなと思うんです。
海外の事情を説明するのに、今までだったら役者さんとか、監督であるとか、ミュージシャン等、いろんな切り口はあったんですが、これはクリエーターというよりも、表現するものを持ってる人間であれば、ある程度のやる気と会話の能力があれば、どこでもやれないはずがないというポジションなんですね。ところがスタッフというものは、それプラス技術というものを身につけていかなければならない。そうでなければ特に海外のような場所では、とてつもなくライバルが多いわけですから、そこで戦っていくということに関しては、大変なことになるわけです。それを勉強のために海外に身をおくのか、また国内でそれを身につけて出て行くことが出来るのか、ということを話してみたいと思います。
まずはテーマを二つ考えました。一つは教育というシステム。もう一つは映画製作システム。日本映画はどうなっていったらいいのかということをまずテーマにして、切り口としてまず教育のこと、教育といっても学校とか拘らずに、伝承とかアシスタントを育てるとか、育成ということも含めて幅広く考えて頂いて、まず 眞さんからちょっと口火をきってほしいんですが。

●渡部:例えば、アシスタントカメラマンとかいう人達と接して、今やっぱり一番感じるのは、これはその教育の問題になると思うんですけれども、年寄りは愚痴っぽくなりますが、返事がない、そういう事が大きいです。
つまり何を考えてるのかわからないというのが正直なところで、やりたいという気持ちはわかりますよ。それをこっちに伝えてくれないから、いつまで経っても黙ってるばっかりで、何か言うと拗ねたりするんで、そのちょっと愚痴になりますけれども、まずコミニュケーションを取るという方法を探るまでに、こっちが相当努力する。大体映画に入ってから一週間位 かかります。で相当いろんなやり方で刺激して、とにかく僕の前では自由に何でもいいから喋って欲しい。喋ることによってそれが良いか悪いかは、何も言わないで喋り続けることによって、コミニュケーションというのが、ある程度成立する基盤が出来てきます。それを僕の職業に限っていえば、カメラアシスタントにお願いしたいんですよね。勿論技術、僕にいわせれば、技術は持ってるのはそれはプロだから当たり前です。全然それはそういう技術のない奴は使いたくないんですぐ切ります。僕はわりと冷たいのですぐ切っちゃいます。
当然撮影の技術、助手さんというとフイルムを変えたりとか、フォーカスを送ったりとか、レンズ交換とかそういう具体的に物を持ってきて運ぶと、それから箱を整理するとか、極めて具体的なことなんです。技術的でもなんでもない、重い物を運んでそこに置いて、ちゃんと綺麗に整理しておいて、いつでも言われたら取り出せるというだけのことなんですけども、そういう技術に関しては当たり前のこととして、最低限ほしいんですけども、そこから先僕に対して、他のパートに対してコミニュケーションすることによって、自分がどういう人間なのか表わすためにコミニュケーションを取るわけではないですけども、スムースに円滑に、撮影っていうのは50人とか100人の人間が集団で集まって来る場なんです。それでその一つの事をやらなければいけないので、それこそ守って上げたいではないですけども、ある規律の取れた統率の取れたところでないと進まないんですよね。そうするためには、細かいコミニュケーションの積み重ねが大きいんです。そのコミニュケーションということが一番僕は問題になると思ってまして、その基盤に単純に撮影の教育だけでなくて、学校の教育というものも含まれてくるだろうと、そこまで言っちゃうと話が大きくなっちゃいますけど、そう思ってます。

 
 

柏 弘一氏(左)、古賀信明氏(右)

●古賀:コミニュケーションということでいうと、例えばこういうカットを作りたい、監督はこういう意図なんだ、という話をしたにも関わらず、やっぱり違う物を作ってきてしまう。こういうものっていうのは、この職業の適性の中に、相手の言ってること、意図してること、そうしたことを掴む洞察力というのが非常に重要になってくるんですけども、そういったものを掴んで、「はい、掴みました」ということの証に、相手が言った言葉と違う言葉で返す。「自分はこう理解しましたよってことを返すことを言え」と言ってるんですけども、そういうそのことなかなか今の若い人って言わないんですよね。
例えば、「ブラウン運動の様な動き」という言葉が出たとしますね。作業は進めました。違う物が上がってきました。でも「ブラウン運動って言ったじゃないか」と。「すみません。その言葉が分かりませんでした」と「何故最初に言わないんだ」そういう、いわゆるそういう質問をするという習慣が日本人にはないと言い切れるんですね。
つまり言葉として、出る釘は打たれるという言葉がありますけれども、それは、そういう意味で作られたのか分かりませんけれども、人よりも目立ってしまうと困ったことになる。それは嫌だということが質問をしないという行動に現れてしまう。これが僕が図らずも2ヶ所で、ある専門学校で教えてるんですけれども、「君らは出る釘になってほしい」つまり一人目立った、こういう仕事というのは、人より違う事をしないと評価されないんですよ。だからそれが良いことでないと駄 目なんですけども、そういう人より違うことをやるっていうことは、人よりもいろんな事知ってなきゃ駄 目なんですよね。それが違うことかどうかということ分からないわけですから。そういうことを理解させるのが非常に苦労してるんですが。「まず君らは質問しなさい」学校に来ていろんなことを勉強しようと思ってる人達ならば、知らないってことは当たり前なんですよ。その知らない事を恥ずかしいと思うのは間違っている」と。いきなり専門学校に来てそういうこと言われると、みんな戸惑っちゃうわけです。
なぜなら、小学校の頃からそういうことは恥ずかしいと言葉には出していないんですけども、そういうことが日本人の習慣として、教育システムとして、そういうシステムにしなさいと誰も言ってはいませんけども、自然発生的に質問することは恥ずかしいこと。

●掛須:日本の諺にはいろんな意味で損してるとこあるね。「雄弁は銀、沈黙は金」とかね。 また別 の方向では、「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」もあるよね。

●掛須:僕らはよく眞さんに知ったかぶりで、先行型で、お前喋ることだけが先で、やってるのは後じゃないかとよく怒られるんだけど、つまりアビットなんか入れるときだって、「来年いれたるわい」と言ったがために、入れちゃったようなもんで、なんでもかんでも新しい事に関しては、とにかく出来るってことは、人に言っちゃうことによってやらんといかんと、自分で火つけちゃうタイプなんだけど、英語文化圏となるとまた違った意味が出てきません?

●柏:そうですね。エディタというのは基本的にアシスタントと一緒に働くのですが、ほぼ監督と二人きりで詰めるんですね。コミニュケーションが非常に大事で、先程古賀さんがおっしゃったように、向こうに行きたての頃、やはりこういう事質問しちゃいけないんじゃないかなっていうような、僕は当然日本人ですからそういう文化の中で育ってきてるから、変えるのに結構苦労したんです。必ず聞かれるんです「弘一、どう思う」と。行った当時は、英語が余り上手くなくて、「困ったな、なんか言わなくちゃいけないな」と。先程 古賀さんがおっしゃったように、何か言わないと向こうは駄目なんです。必ず自分のことをアピールしないと駄 目なんですよ。やはり違うもの、稚拙な表現でも良いんですよね。とにかく自分の事を表現していかないと、知らなくても知ってると言っちゃったら、それ知ってることに対して、自分が後で自分が勉強すれば良いですよ。

●掛須:例えばハリウッドってすごい分業じゃないですか。そうすると一度分業化されていると、その役割をどうやって自分でこのステップを変えていくんですか。  例えばカメラマンアシスタントだと、プロのカメラアシストって感じになっているじゃないですか。撮影監督に至るステップというのは日本の場合徒弟制度だから、チーフからカメラマンになるとき、「僕明日からカメラマン」と宣言した奴が勝ちでしょう。それは大体この職業っていうのは資格が無いですから、誰も免許とか持っている訳じゃないから、「僕は監督です」とか、「僕はカメラマンです」と言えばそうなんですよ。だから「僕は明日からカメラマンです」と言っても成立はするんですね。ステップを変えていくときの勉強ていうのはそれは独自に。

●渡部:いやアメリカの場合は 日本も同じなんですけど、自分がそういうふうに成れると思った時に、それこそアピールして、それに対して仕事が来れば受けて、こなして、それが評価されれば次ぎにまた同じような仕事が来る。だから、それがもっと凄いのは撮影の中だけじゃなくて、録音の部門のマイクを持っている人が、翌週には監督をやったりっていうことが結構平気でありますね。後もう一つはコミニュケーションの問題にちょっと戻るんですけども、横の繋がりっていうのは極めて大きいです。  日本の場合は例えばカメラマンがいて、アシスタントがいて、下の人達結構縦のコミニュケーション大きいんですけれども、その横の繋がりっていうのは、余り頻繁じゃないですね。ところが電話も発達しているというのか、それともお喋りというのか、アメリカ国内において、仕事の場所っていうのは、突然「来週ちょっとカナダで撮影出来るかな」とか、もう突然「誰から聞いたの」っていう訳のわかんない人からかかってくることが良くありますね。横の繋がり、それで急にステップアップせざるを得ないというときもありますね。

●古賀:今、コンピューターを中心としたいわゆるハイテクな道具、先程言ったビデオアシストなんかも含まれますけれども、そういう道具が便利になった分、早く出来るという感覚がある反面 、試行錯誤も無数に出来るようになって来たわけです。そういう部分で、この方針、方向性っていうのが見えてないと、いつまでもそのステップで足踏みを続けてしまう。だけどもバージョンは幾つも出来てしまう。これはこれから考えていかなきゃいけないことだと思います。ですから判断力ですね。判断力というのは、昔以上に、つまり昔というのは物理的な制約から、バージョンはそんなに出来なかった。それだけに集中力を持って、作っていくという部分というのは、多少なりともあったと思うんですが、今はそれがない。ある意味緊張感がない、というデメリットも出てくると思いますね。ただそうではなくて、こういう方向性で行きたいんだということ、方向づける何かを作業者に提示していかないと前に進まない。ですから最初の話に戻りますけれども、コミュニケーションがもの凄く重要ですということです。

●掛須:敢えてここでは、他のパートで、「このパートこういうふうに変えた方がいいよ」っていうことを喋ろうかなと思うんですけど。まず一つは録音。サウンドはまだ旧態依然としてる部分があって、今持ってるんだけど、テームメディアで録ってるじゃないですか。ダットには変わったんだけど、でもそのダットさえも嫌がっている人が多い。もういっその事、もっとマルチにサウンド録っちゃえばどうか。日本はシンクロのシステムが多い、一番多いんだけどそんな時に録音技師はたくさんのマイクロホンをヘッドホンで聞いて、現場で神業的な技術によって、職人芸でもってミックスをしてくるわけですよ。
ところが後になって、台詞のオン、オフだとか、距離感とか、今は5.1チャンネルとかいうサウンドが立体音響になってきてるわけだから、音の後加工が出来るように、もっと全部パラレルで、音を全部わけて録らなきゃいけないと思うんですよね。  それを頑なに古い方達は、現場で録った録音技師が全部自分で仕上げをするっていうのが、まだまだ主流じゃないですか。これはもう崩壊していいんじゃないか。現場ともポスプロミックスというのは全く違うもんなんだ、そう考えないと出来ない。ハリウッド、オーストラリア全部ね。そうやって分けちゃってるから、当然の発達の仕方してるんだけど、日本でその発達の仕方がシンクロだったが為に、そういうの駄 目なんじゃないですかね 柏:その通りですね。でもこれは文化的な違いもあるし、雇用の問題とか、そういう大きな方にもなっちゃうじゃないですか。
ちょっと話はずれますけれども、ノンリニアがオーストラリアで導入された時には、やはり経験のあるエディターというのは非常に戸惑ったんですね。勿論フイルムでエディターしてたんで、コンピューターは全然わかんない。でも若い人達でエディターに成りたい人達はコンピューターを知ってるがフイルムは触ったことがない。どういうふうにやっていこうかと、経験のあるエディターがもの凄く、日本と、オーストラリアも完璧に制作体系、ハリウッドタイプですからどうしたかというと、先ずそのノンリニアンエディティングに携わった人が、先ずフォーラムを開いたわけです。じゃあこのノンリニアを導入したことで、どこのセクションがどう変わるか。それは録音の方も勿論ダットにしなくちゃいけない。デザインの方もちょっと変わるだろうと、毎月毎月フォーラムをしてて、じゃあ僕達はコンピューターの事知らないけれども、若いエディターになりたい人でコンピューター知ってる人間に、一緒にやっていこうじゃないか、2〜3年掛かったかなあ、非常に試行錯誤しながら、こういうエディティングの面 で問題が起きたら、録音でもこういう問題が起きるから、ネグマッチングという原画ですね、そっちの方の問題も起きるんで、こういうふうに対処して下さいと、そういうものはもの凄くスムーズなんですよね。日本はちょっとフリーですよね。年齢どうのこうのというんじゃなくて、自分のテリトリーを侵されたくないっていう意識がもの凄くあるじゃないですか。渡部さんがおっしゃったように、欧米はやっぱり情報開示なんですよ。こういう新しい物があったら、自分達だけで映画は絶対出来ない総合芸術だから、みんなが協力して出来るもんじゃないですか。一つのセクションが新しいこと入れれば、他のところ全部変わっていっちゃいますよ。だから協力してやらないと映画なんて出来ない。だからその体制が早いんですよね。 渡部:オーストラリアでその編集と録音の方の話し合いっていうのは、何年間にも渡って話し合われたというのは、そういう場が設けられたんですか。

●柏:勿論です。それはユニオンというのが、決まった形が無かったんですよ。俳優のユニオンというのはあるんですけども、そのノンリニアが導入されたことで結構刺激されて、エディターズユニオンが出来て、エディターズギルドという形をとってるんですが、後録音の方のギルドが出来まして、こういうふうにお互い情報を開示してゆこうと、そういうことで2年、ギルドが出来るまで導入されてから2年程掛かりましたけれどもね。
日本で一番最初にやったのは、撮影監督協会主催のノンリニアンフォーラムですよね。カメラマンの方が興味をもった。そこは、バッシングの嵐でしたよ。「そんなもの持ってくるべきじゃない」って言われましたけどもね。
ちょうど岩井君の『ラブレター』をやった直後だったんですけど、最初から撮監が中心でやって、その後に編集協会とスクリプター協会、スクリプター協会に於いては死活問題ね、近いものあるから。職種が全く変わっちゃうんじゃ、要らなくなっちゃうて過言じゃないし、別 の職種に変換、変換を余儀なくされてしまうと。伝統芸だったスクリプターの仕事なくなっちゃうわけで、「これやばい」という危機感を感じる。録音の方も当然ダットを使わなくちゃいけない。それから現場録音から仕上げまで一括してやってる人達がスポイルされるっていう、これは大きな問題で、そこの、その辺の録音とスクリプターという職種からは突き上げはすごかったですよ。未だに変わらないかも知れない。

●古賀:僕は、先程おっしゃった伝統芸能っていうのが、古典芸能ならいいのですが、映画に関していいますと、伝統芸能っていう言葉はすごく嫌いなんですね。皆さん映画で前と同じ事やってるの見たいですか、見たくないですよね。新しい物見たいんですよ。そういう物をどんどん壊していくような物をやってるのがアメリカだと思います。だからそういう意味では、勿論ハリウッド映画っていうのはいろんな意味で良くも悪くも上げられますけども、そう良いところっていうのは、日本はどんどん入れなくてはいけないと思うんです。円谷英二さんが作られた映像というのは、新しかったんです。それ以降は、多かれ少なかれ伝統芸能っていう言葉に置いてしまいたくなるような状態ですよね。それでは見てる人達は飽きてしまう。そういう物を壊していくようなスタイルを取らなきゃいけないんですが、日本の業界の体質というのは保守的である。それは皆さんが変えて行かなきゃいけないと思いますね。 古賀:やっぱり日本の映画っていうのは監督のもの。アメリカの映画、他の国の映画もそうでしょうけど、映画という物はプロデューサーの物、要するに誰のものかっていう感覚がやっぱり日本と他のメジャーの国々とは違うんじゃないかなあ。 つまり監督のエゴを映像化するっていうのが映画の仕事であると僕は考えてます。事実そうだと思うんですけども。
ところがハリウッドを初めとするいわゆる売らんがための映画、勿論ヨーロッパ映画とか別 にあると思いますけれども、売ってなんぼといったものが、日本にもそろそろあってもいいんじゃないか。つまりヒットする映画をコントロールしながら、クオリティコントロールしながら作ってゆく。そのための道具である監督であるというよりも、そこまで割り切っても良いと思うんですね。
つまり商品として扱う、日本のヒット商品というのはみんな商品管理してるんですよね。そういう物をしてないのが映画業界。どういうものが観客に受けて、どういう物は受けないということを、ちゃんと売る側が掴んで、その通 りに作っていけないというのがその映画の現状だと思います。
そういった物をやっぱりそろそろ日本も入れて、つまりアメリカのプロデューサーシステムですね。具体的にいいますと、つまり監督の意志。プロデューサーの意志の前には監督というのは、それよりも弱いというものですね。毎日毎日何百万もかかるようなコストの作業を繰り返してるわけですから、その何百万のコストが無駄 になることだってあるわけです。そういったことを客観的に見て、手綱を締めてどうどうという人間が、やはりプロデューサーでなければならない。

●掛須:例えばね、元へ戻るっていうことすごい難しいことじゃない。一度決めっちゃった、日本の行政はまさしくそうだけど、一度決めちゃったことをどうしても、是が非でもやるっていう。例え間違ってても無理やり通 しちゃうみたいな、後で気付くとこあるじゃないですか。「これやっても無駄だよね」とか、「これってつまらないよね」っていう、こう状況変わるわけですよね。そん時に「それ辞めよう」という判断とか、「ちょっと違うアイディアにしようよ」ということに対して、すごく怖さを感じてるせいなのか、みんな言わないよね。そこがちょっと変わったらいいなあと思う。
一つは提案として思ってるのは、例えばノートブック型のパソコンに、ノンリニアンシステムを入れて現場に行こうと思う。ただ現場が呼んでくれるかどうかの問題があるんだけどね。そこまで金出せないよとか、お前が来ると煩いからいやだとか言われかもしれないんだけど。ただ現場で編集した流れとかが見えてるから、考え方変わるんじゃないかなと思うんですね。

●渡部:変わりますね、明らかに。それは『五条』の時そういうふうにしたかったですね。それとちょっとコストの問題とシステムの問題で、ちょっと『タイタニック』の話をしたいんですけども。日本の人達に言わせれば「250億?あれだけかければ日本だって出来るよ」って、言ってますけど、はっきり言って日本では出来ませんね。あのクオリティーをあれだけの日数とあれだけのお金で、250億ってすっごい安いお金で出来たと思います。つまり何百人のエキストラ、何千人の人間が動いてて、それを湯水のように使ってるというように思うかもしれないですけれども、あれは多分1ドル、2ドルの計算をしながらやってると思うんですよ。
最終的な編集の決定権ていうのはプロデューサーにあるんで、みんなディレクター、プロデューサーやりたがってるんですよ、アメリカでは今や、それによって最終決定権を持とうと思うんでよね。そうするとお金が無くなっていくのは、目に見えてるんですよ。その辺のバランスが絶妙に取れた形で、あれはあったんじゃないかなと。「五条霊戦記」でいうと、僕が計算すると大体1分間に1万円位 のコストが掛かってます。ということはこうして喋ったり、1分間飛んでっているという、そうすると例えば照明のゼネレーターが2時間消えると、それで幾らになりますかっていうことですね。それから遅い人がいればそれだけセッティングが5分遅ければ、それだけ5万円飛ぶと。ハリウッドの大作になるとそれは1分間20万円とか、例えば、1分間20万の人が大体5分早い人もう一人、例えばナイティングでいるとすれば、その人に百万円払ってもその人を使った方がいいわけですよ。後々。
そういうふうにして、お金が高い技術者でも、早い人間を選ぼうというふうにしてます。それはもう明らかです。それは多分これからも日本でもそうなって欲しいし、そうなるかも知れないと思うんですけれども、同じ技術だったら早い人取ります。就職もそうだと思うんですけども。どんどんその、だらだらやって、これだけのクオリティーだったならば、同じクオリティーを、早い人というのをそれはピックアップすると思うんですよね。そういう、こうせめぎ合いがそこの国は相当いってて、それの究極として最近の例では『タイタニック』があるような気がしてならないんですよ。

●古賀:管理というのが、いわゆる誰かの元について統率されるということを意図的にこういう避けるように、日本人は教育されて来ちゃったんですね。
ですから『アポロ13』という映画をご覧なったときに、多分皆さん見てらっしゃると思いますけども、ああいうアポロ計画のミッションスペッシャリストみたいな職業ていうのは、日本人というのは無理だと思います。要するにあれだけの予算が掛かった自分の一言がですね、あの3人の宇宙飛行士の命を奪うことになるかも知れないようなことを、日本だと必ず総理大臣まで行って、相談してみたらというような話にきっとなると思うんですね。とにかく自分の責任から何とかして逃れたい、そうじゃなくて自分の責任のところで、的確な判断をいろんな情報を使ってやっていくという、そういうふうなシステムが無いわけですから。先程おっしゃった250億があれば、日本も『タイタニック』みたいな物が作れるか、僕は無理だと思います。そういう現状っていうのは恥なきゃいけないですよね。なんとかしなくてはいけない。
つまりそういうシステムを根底から変えていくというのはもの凄く、その不可能に近いのかもしれないんですけども、その努力はやらなければいけない。そういう部門をこういうところでも話し合う、声に出してですね、コミニュケーションという話もありますけれども、そういう問題を、こういう問題があるんだとということを、自覚して事に当たっていかないと、永久に変わらないと思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(セミナーでの発言から一部を抜粋して掲載しています)
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