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セミナーA
「メディアはオシーーーーーーーィ」

押井守(映画監督)
石川光久((株)プロダクションI.G代表取締役)
川井憲次(作曲家)
掛須秀一(ジェイ・フィルム代表取締役、ホストプロデューサー)
コーディネータ 浜野保樹(東京大学大学院教授)
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■SeminarA

セミナー会場風景
●浜野:セミナーのタイトルの「メディアはオシーーーーーーィ」は、押井監督と押しの強い方々という2つの意味で名付けました。
世の中は、ものをつくるか、それか人のものを評論して愚痴ったり悪口を言ったりするかに分かれるが、両者の道に分かれるのは本当に紙一重。せっかく努力するのであれば、作る側にいってほしいとここにいる皆さんに対し思います。このセミナーの講師の方々がどうやってここまで来たかを聞いてほしい。どうやって、この業界に入り、朝まで飲み続けるパワーを維持出来るか聞いてください。まずは、川井さんから。

●川井:さっきまで飲んでました。工学をやろうと一浪して大学の原子力工学科に入ったが、難しく中退。その後、音楽の専門学校に行ったが、大学と比べかなりいい加減な授業で、半年で中退。その後
バンドやっていたら、なんとなく仕事が来て、楽なほうに楽なほうに流されて今日の私があります。以上です。
●浜野:押井作品のように、世界的な評価を受けて、これで喰っていけるという瞬間があったわけですよね?
●川井:
ずっと不安。いつプロになったかわからない。だからよく芸能生活○周年とかいうが、そんなきちんとしたスタートがあるわけでなく、20年ぐらいたっている。その間に、ビルのエアコンのクリーニングのバイトなんかもしたりして、プロとして音楽でやっていこうと決心したみたいなことは、記憶にない。
●浜野:川井さんがおっしゃるのを鵜呑みにしないように。そんなかっこいいものでもなく、ボーとしててかっこよくなれるわけないので、誤解しないで。では、掛須さん。

●掛須:映画監督をめざして、映画の専門学校へ。安保の末期で仕事もなく、今は勉強しようと思い、たくさんの本や映像をまず見ようと思い、編集の世界に入った。当初から、高畑勲さんや宮崎駿さんの作品を手がけていて、それが日本アニメの標準だとずっと思っていた。
よく、実写ならともかく、アニメは編集するところがあるの?と言われるが、そのとおり。アニメは完成されたものが最初からできあがってくる。これはすごいことです。
●浜野:両親は老舗の呉服屋さんですが、映画やるといったらどんな反応でした?
●掛須:とにかく、
テレビのテロップに名前がのれば仕事していると見られると思い、ギャラは二の次でタイトルに出してもらえるようにした。それが今の会社の社風にもなってて、ギャラは安いがタイトルに出る会社になった。
●川井:音楽の専門学校には教職がとれるという名目で許してもらったが、音楽やってたら、毎日働けと言われていた。音楽の仕事は、社会的な地位もなく、名がでたら喜んでくれた。

●浜野:次に石川さんですが、アニメの仕事はなかなか人に言えない職業と言われるが、業界に入った時はいかがでした?
●石川:僕の場合、
アニメの業界に入ろうとはいったわけじゃない。子どものころから周りを面白くさせたいという気持ちがあって、それがきっかけかも。文楽やってて、食えなくてなんとなくタツノコプロに面接にいき、担当の人が野球好きだったので入れたかも。なりゆき。面白いものを作りたいだけで、プロデューサーになろうとは思わなかった。自分のことより、周りの人に気持ちよく仕事をしてもらうことに喜びを感じた。両親は、実家の農業を嗣ぐのと経営者になるのだけはやめろと言っていた。

●浜野:みなさんカッコイイ話ばかりしている。では押井監督。
●押井:僕も映画監督をめざしたわけじゃなかった。中学校からの趣味が本を読むこと。作家になろうと思った。かたや大学に入って映画を観るようになった。大学に入り、
山田正紀という作家が「神狩り」で大学デビュー。これは追いつけないと思い、映画の道にした。景気も悪く映画の仕事を探したがつけず、ラジオの制作をやったが、成果物が残らず消えていくという作業だった。つらかった。しかし自分に合わない仕事をやったのが本当に良かったと思う。タツノコプロに入り、一緒にする仲間がいたから演出家になった。主体的になろうと努力したわけではない。なろうと思ってなった人はなかなかおらず、結果的に自分に合うところにたどり着くことが多い。監督になったと意識したのは、ぴあの欄に監督で名前がのったとき監督になったんだなあと思った。だれからもあんたは今日から監督だといわれたり辞令をもらうものでもないし。

●浜野:掛須さんは、助監督もつらいし、空調の効いたスタジオの編集が一番いいと編集技術を戦略として身につけて成功した。押井さんの場合は?
●押井:本当は戦車が好きだったので、タイガー戦車を撮りたかったが、当時そんなものだれも取り上げてくれず、アニメスタジオに入って、
アニメで自分の考えていることが実現出来ると思った。日本の映画は自前にならざるをえず結果とてオリジナルが問われる。この世界には師匠はいない。これからも。そういう世界であって、システムなんかない。

●浜野:日本のアニメのすごさは、数をこなして継続して上達し、その継続を維持しているからだと思う。川井さんは厳しい音楽業界で勝ち残るための技術習得とかどうされているんでしょうか?
成功の秘訣は?
●川井:特に技術を身につける努力はしていない。いつもかっこよくやっているわけでなく、どうしようかと行きづまったなかで、最後に答えがでてくることの繰り返し。他の人の音楽を聴いたり、映画を見たりもしない。毎日夕方に起きて遅くまで飲んで寝るだけ。ただ強いて
コアになっているもとといえば、昔からバートバカラックが好きで、そうなりたいとずっと思っている。

●石川:人を楽しませるのは、まず自分が楽しむこと。苦労話はないし、苦労を苦労と思ったらやれない。成功者はすごく楽しんでいる。

●押井:石川いいこというなあ。
自分の周りは冗談やバカ話ばかりしているがそれが大事。他人と係わること以外に自分は発展しない。不幸自慢は、話すのが楽しくてしょうがないから。苦労したから達成感があるわけではない。

●掛須:しゃべって踊れて、冗談のいえる編集マンをめざしました。まじめな人は若い頃から先輩にかわいがられ、よりいい監督につきたがって、下のものには逆に自分の考えを押しつけたがる。
自分が生き残ったのは、監督の価値観に従わず、けんかして監督に勝つことを目標にしてきたから。

●石川:「イノセンス」がどれだけすごいかは、「劇場版テニスの王子様」を見てもらえればわかる。なぜこれを石川がやったか、押井監督から回答してもらいます。
●押井:人間的な魅力が大切。監督はいいものを作るしかない。イノセンスは期待した成功はしなかったが、10年後にかならずいいことある。回収できる革新的推測。
監督というのは、いつも被告席にいてそれに耐えること。自分の生き方を信じることであって、職業でなく、生き方。まあ石川がどんな思いで「テニスの王子様」を作ったかわからないが、手堅い仕事も大切だからがんばって。

●川井:音楽の場合、映像やイメージがあるが、自分の理想を思い描き、それに近づけるだけ。
自分の理想がお客様にとっての理想だと信じ続けること。

●浜野:最後に生まれ変わったら、何になりたいですか?押井監督は犬でしょうが
●掛須:同じ職業を。ただしわがままでなく人に好かれる監督に。
●石川:もう一回、いまのかみさんと一緒になりたい。
●押井:厳密に言うと、半分だけ犬になりたい。犬になっちゃうとわかんなくなっちゃうから。半分犬の遺伝子が流れている特殊な人間になりたい。それが人間の望みだと思う。
●川井:技術者。エンジニアになって、スピーカーなんか作っていたい。

●浜野:イートに参加頂く講師の方々は本当に気持ちのいい人しか来ない。逆に、気持ちのいい人たちだから成功している。貴重な話ありがとうございました。

(敬称略)


浜野保樹氏

川井憲次氏

掛須秀一氏

押井守氏

石川光久氏
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